「僕らは別れるために出会う」ことを知った話
自分の考えを整理したり文章化することで、さらに考えが深まることはよくある話で、
僕もブログを書くことで新たに思うことが増えてきた。
先日の『君を失うのが怖かった』という記事では僕の過去の恋愛を振り返ってみた。
詳しくはリンクから飛んで読んでほしい。
簡単にまとめると、「君を失うのが怖かったから関係を変えることができなかった」という話だ。
そして次の記事では『君を失うのが怖かった』を踏まえて予備校講師の話を思い出し、
『僕らにとって必要なのは「覚悟」なのかもしれない』という話をした。
どちらもオススメできる記事なので是非読んでみてほしい。
さて、今回は『君を失うのが怖かった』という記事に対するアンサー記事だ。
あることに対して意識が向いているとそのことに対する情報感度ってのはかなりよくなる。
例えば、ある子を好きになったら大勢の人混みの中からでもすぐに見つけられたりする。好きになる前であれば人混みの中では気づけなかったにも関わらずである。
今回の僕の場合も同じである。
本を読んでいる中で『君を失うのが怖かった』に対するアンサーが見つかったので共有していきたい。
大切な人との別れはつらいものである 。大切であるからこそ、その別れの重さは大きくなる。
そして僕たちは臆病でちょっぴり賢い。
いつか来る別れが怖いから、正面から誠実に相手と向き合うことを避けてしまう。
自分の心の中で相手が大きくなることで、相手が大切な人になってしまうからだ。
相手が大切な人になってしまったら、それはいつか来る喪失の恐怖につながる。
だから、相手が自分の心の中を占める大切な人にならないように、
もっといえば、将来自分が傷つかないように、相手と距離を置くのだ。
では、僕たちはどうしたらよいのだろうか。
こういうときは物事の前提を疑い、変えてみることがいい。
マインドセットの見直しである。
こう考えてみてはどうだろうか?
”僕らは、別れるために出会う”
そう。別れは必然的なもので避けられないのだ。
というのも、僕たちに与えられた時間は有限なものだからだ。
そして時間が有限である以上、すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立っている。
限られた時間をいつまでも一緒にいられる訳ではない。
どうしてもそのときそのときで人間関係にも優先順位が出てきてしまう。
その中で別れがあるのはしょうがないことだろう。
しかも、最後には避けられない永遠の別れである”死”が待っている。
だからといってニヒリズムになる必要はない。
僕らにすべきことは最終的にくる別れを恨むことでも、嘆くことでもない。
僕らにできることはただ1つだ。
全ての出会いと全ての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。
それだけだ。
例えば今、突然あなたの両親との関係が終わってしまうとしたら、友人たちとの関係、愛する人との関係が終わってしまうとしたら、あなたはそれを「最良の別れ」として受け入れることができるだろうか?
僕は受け入れられない。今のままでは「最良の別れ」なんてできるはずがない。
あなたも同じ気持ちに違いない。
それならば、そう思えるような関係をこれから築いていくしかないはずだ。
いつか別れる日がやってきた時、「この人と出会い、この人とともに過ごした時間は、間違いじゃなかった」と納得できるよう、不断の努力を傾けること。両親との関係においても、友人たちとの関係においても、そして愛する人との関係においてもだ。
「いま、ここを真剣に生きる」とはそういう意味だ。
とここで、”もう間に合わないよ”と弱音を吐きたくなる人もいるだろう。
でも「人間が変わるのに、タイムリミットはあるのだろうか?」
時代を100年先駆け抜けた思想家、アルフレッド・アドラーは、そのような質問を受けたとき、「たしかにタイムリミットはある」と答えた。
そしていたずらっぽく微笑んで、こう付け加えた。
「寿命を迎える、その前日までだ。」
僕たちは別れを恐れることなく、愛に踏み出す必要がある。
そして愛した人と、「最良の別れ」 ができるよう絶えず努力を続けよう。
ニヒリズムに陥るのではなく、今を真剣に生きるのだ。
そう。僕らは別れるために出会うのだから。
僕らにとって必要なのは「覚悟」なのかもしれない
先日、『君を失うのが怖かった』という記事を書いた。
この記事を書いたことによって自分の中で気づいたことがあったので、今回はそれを共有していきたい。
簡潔に言おう。
それはタイトル通り、僕らにとって必要なのは「覚悟」なのかもしれないということだ。
とある予備校講師が言っていた話だ。
その講師はバードウォッチングが趣味で森を歩くらしい。たまに鳥の巣を見つけると
中でヒナが一羽死んでいることがある。その話だ。
ヒナは自分が飛べるようになると、巣から飛びたつ練習をする。
鳥である彼らだが、初めて飛ぶというのは怖いものがあるらしく、飛ぼうとして、たたっと走って下を見るとギョッとした表情をする。そこで飛ぶのをやめてしまう鳥もいるらしいのだ。
何回か試みてエイっと踏み出すことでやっと飛ぶことができるのだが、中にはその踏みだす勇気がなく、巣の中で死んでいくものもいる。
それが講師が見たヒナの亡骸だったわけだ。
そこで彼は言った。
そのヒナは羽や身体に問題があったわけではない。
本当は飛ぶ力があったのに、自分の安心できる巣から未知の世界にエイっと踏み出す勇気がなかったのだ。
君たちはどうだろうか。と。
ふとその話を思い出した。
安全なあたたかい場所から、未知のそしてもしかしたら困難な場所へ行こうとするのは
怖くてつらい。だから人はその道を避けようとする。
ただ、その新しい世界ってのは紛れもなくいまの君が見たことない世界で、きっとそこでしか経験し得ない特別な出会いがあって楽しみがある。
その経験は、怖いけれども、エイっと安全な場所を抜け出すことでしか得られないのだ。
もしかしたらそれは君のプライドを傷つけるかもしれない。安全な場所にいたら経験しなくてよかった悲しみに出会うかもしれない。道のりはつらく厳しいものかもしれない。
君はそれを乗り越えなければいけないのだ。
君は自分が思っているより力を持っていることに気づいていない。何かを成し遂げることができる力だ。暗闇を照らす力だ。
君は自分の翼の可能性を信じず、その翼を枯らしてしまうのか。
君がそう願えば、飛ぶことのできた翼だ。
安心な場所を抜け出して飛び立つことはとても怖いことだ。できれば飛び立ちたくない。
恋愛ならあの子をデートに誘うことだし、告白すること。自分が成し遂げたいことに飛び込むこと。ヒッチハイクで声をかけること。
拒否されるのは怖い。現状を変えるのは怖い。
そんなときは深呼吸して覚悟を決めること。
自分の翼を信じて、エイっと飛び込んでみることだ。
君ならできる。
君を失うのが怖かった
皆さんは乃木坂46の『今、話したい誰かがいる』 という曲を知っているだろうか。
映画『心が叫びたがってるんだ。』の主題歌に起用され、『心が叫びたがってるんだ。』の脚本を担当した岡田麿里が秋元康に映画の内容を説明することによって作品に沿った「ドンピシャの歌詞」(映画プロデューサー・斎藤俊輔の言葉より)が書き下ろされ、映画のストーリーとつながる構成になっている曲だ。
乃木坂46史上初のダブルセンターを採用し、センターにはまいやんこと白石麻衣となあちゃんこと西野七瀬が務めたことでも有名な曲だ。
歌詞ってのはどこかとても共感できると頭から離れなくなる。
この『今、話したい誰かがいる』という曲も僕にとってそのような曲の1つである。
その歌詞の一節とともに僕の考えを共有したいと思う。
今までならきっと逃げてただろう
君のことを失うのが怖い
片思いなら黙っていればいい
両思いなら気づかなければいい
話したい誰かがいるっていいもんだ
『今、話したい誰かがいる』歌手:乃木坂46 作詞:秋元康 作曲:Akira sunset・APAZZI
僕はこの一節を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。
というのも、僕のこれまでの恋愛がそのような感じだからだ。
友達以上であるが恋人でもない。
この時が個人的に一番楽しいと思う。
だからこそ、その楽しさにかまけてしまう。
友達以上恋人未満の相手との会話は楽しい。
一緒にいるだけで落ち着くし会話の弾み方も普通の人とは違う。
僕はそのような関係になった人を失うのが怖かった。
どういうことか。
つまり、そのような人と付き合うのが怖かったのだ。
周囲を見渡せば付き合ったと思ったらすぐ別れたり、
絶対別れないと言われていたおしどりカップルが別れたり・・・。
そう、付き合うことは本質的に別れることなのだ。永遠の愛なんてないんだ。
思春期の僕は少ない脳みそでそう悟った。
そのあとの僕は完全にこじらせていた。
仲良かった子が告白してきた時、何も言わずその返事を4ヶ月後まで延ばしたり。
別の子であれば、周りの友達からすれば明らかに付き合っている状態にもかかわらず、
告白はせず(つまり、付き合わず)1年以上その関係を続けた。
自分がもしくは相手が友達以上恋人未満という二人のバランスを
少しでも進めてしまわぬように、壊さぬように。
なるべく恋愛話にならぬように気をつけ、いい雰囲気になったらあえて話をそらしたり、相手の部屋に行っているにも関わらず手を出さなかったりと。
片想いなら黙っていればいい。ただの勘違いということにしておこう。
両思いなら気づかなければいい。だって気づいてしまったらそれは最終的にこの人を失うことになってしまう。
そうだ。今のままがいい。
そう思っていた。
結局そのあと、そのバランスをどちらかが壊してしまい、今その子たちとは連絡をとっていない。
あんなに大切だと思っていたのに、だ。
今考えると、大切にしたいと思うがゆえにその人を傷つけていたのかもしれない。
誠実さだと思っていたことは実は不誠実だったのだ。
もしかしたら、「今までならきっと逃げていただろう」と言って関係性を進めれば
本当の意味で相手を大切にできていたのかもしれない。
ただ、あの頃の僕は確かに君が大切で、好きで、失うのが怖かった。
そんなことを『今、話したい誰かがいる』を聴きながらふと思った。
”誰もができるあれ”で暗記が上手くなる
受験勉強や資格勉強を始めてみたものの、これまで勉強してこなかったから
勉強方法がわからないよっていう人にオススメの”暗記の基本ルール”を
教えたいと思う。
あなたは暗記が苦手だろうか。
私は暗記が苦手なんだよね。やっと覚えたこともすぐに忘れちゃう。
まず暗記ってどうやればいいのかわからない。
こんな人が多いのではないだろうか。
しかしそんな人でもほとんど多くの人が勉強してからかなり長い間覚えているものがあるはずだ。
それは九九だ
だいたい小学校二年生ぐらいで習う九九だが今でももちろん使える人が多いはずだ。
暗記が苦手と思っているあなたかもしれないが9×9=81通り。
あなたの頭の中に入っており自由に取り出すことができているのだ。
しかも何年もの間あなたは覚えていられたわけだ。
これってすごいことではないだろうか?
いやいや小学校の話だよ?内容も簡単だったし。
そうあなたは言うかもしれない。
だが基本は大事。基本”が”大事である。
はじめて勉強というものに触れた小学校の内容に、もう一度
少し大人になった観点から見ることで得られるものがあるはずだ。
では九九に隠されている暗記のルールについて順に説明していこう。
暗記の基本ルール
- できる量ずつ
- すぐに口に出して言えるように
- 難しいものは何回も
1.できる量ずつ
まず大切なのは自分で覚えられる範囲の、少ない量に分けて暗記することだ。
九九を覚えるときは、1の段から順に始め、しっかり記憶してから次に進んだはずだ。
いきなり一の段から九の段まで一気に覚えるという暴挙に出る人はまずいない。
そして九九では、1つの段で覚えなければならないのはたったの9つだ。
暗記も同じで自分ができる範囲に分割することが大切だ。
2.すぐに声に出して言えるように
2つ目のポイントは、すぐに口をついて出るほど、完璧に暗記してから次に進んだということだ。
九九では一の段を何も見ずに暗唱できるようになって初めて、二の段に進んだ。
ある段を暗唱できるまで家に帰ることができなかった経験を持つ人もいるのではないだろうか。
完璧に覚えていないうちに次に進むから、忘れる数も多くなるのだ。
3.難しいものは何回も
3つ目は、九九の場合、完璧に覚えられるよう、間違いやすいところを集中的に繰り返したということだ。
七の段、八の段など難しいところは、一の段などに比べて回数を重ねて覚えたはずだ。
それに比べると多くの受験生は、苦手なものを何度もやる習慣が身についていないと言えるだろう。
九九を覚えた時には無意識でやっていたこと(やらされていた)も
ある程度歳を重ねると意外と効果的だったことがわかる。
基本をバカにせず、できる量ずつ、すぐに声に出して言えるように、難しいものは何回も繰り返すこと。
それが暗記の基本ルールだ。
あとは実践あるのみだ。ぜひ試してみてほしい。
噂話をする前に見てほしい
あなたはうわさ話をしたことがあるだろうか?
他人を批判したいという衝動は簡単に抑えられるものではないよね。
うわさ話をしてはいけないと思いながらついついしてしまうこともあるはずだ。
最近の研究ではうわさ話も二種類あり、よいうわさ話もあることが判明した。
そこでここではよいうわさ話と悪いうわさ話2種類のうわさ話を使い分けるルールについて
見ていきたいと思う。
目次
1:陰に隠れて他人を批判したいという衝動は「親切な行為」でもある
2:悪い噂話って?
3:いい噂話って?
4:噂話をしたい衝動に駆られたら、自分の状況を客観的に見てみる
1:陰に隠れて他人を批判したいという衝動は「親切な行為」でもある
他人を批判したいという衝動(特にその人の陰でそうしたいという衝動)は簡単に抑えられるものではない。これは普通のことだ。時に批判は、親切な行為にもなるのだ。
2つの噂話の違いを理解することで、他人の陰口を言ってしまいたくなる衝動を理解し、周囲の人が噂話を持ち出したときにどう反応すればいいかわかるようになる。
その衝動を処理するベストな方法はその衝動について理解することだ。
では、2つの噂話の違いを見ていこう。
2:悪い噂話って?
そもそも人が陰口を言う動機は「自己PR」である。どういうことか。
人が陰口を言う対象は「自分の目標に限りなく近い人物」である。つまり「ライバルだと認識されている人物」がそのような噂のターゲットになりやすいということだ。
なぜなら陰でライバルの悪口を言うことは、自分の自尊心を高め、ライバルと比較されるときに自分をよく見せることができる一番手っ取り早い方法だからだ。
自分の不安や自信のなさを処理するためにネガティブな噂話をするわけだ。
逆に「他人」を助けたいといったポジティブな動機から噂を流す場合もある。
3:いい噂話って?
米カルフォルニア大学バークレー校の研究を通して「他人を助けるために情報を共有したい」という向社会的行動から噂話をすることがわかった。
こうしたポジティブな噂話は苦しい状況を「ポジティブなことができる」という
感覚に変えて人の気分を良くしたり、チームへの帰属意識を高めたりする効果がある。
噂話は親睦を深めたいシグナルにもなる。
*向社会的行動:他人に対して積極的な態度を示したり、他人を助けたりする行動
4:噂話をしたい衝動に駆られたら、自分の状況を客観的に見てみる
このような2種類の噂話をふまえてどうするべきだろうか。
まず噂話をしたいという動機が、自分の感情的な欲求を満たそうとしたり、
自分の能力を示そうとするためではないかと気づいたら、安心して打ち明けられる人に話そう。
あるいは、他人に自分の価値を示すもっといい方法がないか考えよう。
関係を築きたいという願望から噂話を頻繁にするようであれば、
あなたが仲良くしたいその人自身のこと(例えばその人の考えや興味、経験談)を
話してほしいと頼んでみよう。
ただ「人の助けとなり得る情報を共有せざるを得ない」と感じたのに、
「他人の悪口を言うのがよくないから」といって口を閉ざすのは良くない。
あくまで噂話をしたい衝動に駆られたら、自分の状況を客観的に見て、
自分がしようとしている噂話はよい噂話なのか悪い噂話なのか考える必要があるわけだ。
以上。
Instagramでの妬みをプラスに変える方法
テレビでもインスタ映えという言葉が使われるようになったくらい、若者をはじめ爆発的な人気を誇るInstagram。
SNSの中でも確固たる地位を築いていると言っても過言ではない。
僕の周囲でもInstagramを入れている人が増えている気がする。
会話が「昨日のInstagram見たよ〜」から始まることもめずらしくない。
そんな圧倒的な人気を誇るInstagramであるが、問題もある。
2017年のイギリスのRoyal Society for Public Healthが行った、14歳から24歳の1,479人を対象に行った不安、抑うつ、孤独、いじめ、身体イメージについてのSNSの影響の調査で、InstagramはSNSの中で若年層のメンタルヘルスに最も悪影響があるという結果が出た。
そう。InstagramはSNSの中でメンタルヘルス、つまり精神面における健康にもっとも悪影響があるのである。
あなたも思ったことがあるに違いない。
「なんでこの子はこんなに充実しているのだろうか」
「楽しそうにしていてうらやましい」
「リア充◯ね」
と。
もう速攻アカウントを消してInstagramをアンインストールしたほうがいい気もするが、
Instagramで会話が始まり、人間関係が維持される時代だ。
やらざるをえない事情もあるだろう。
では僕たちはInstagramから生まれる妬みにどう対処したらいいのだろうか。
まず覚えていて欲しいのが、
”「妬みの感情」が助けとなる”こともあるということだ
妬みの感情はほとんどの場合は有害だが、時には助けになることもある。
妬みの感情を抱くと、「自分が本当に欲しいもの」が明確になり、
その「欲しいもの」をエネルギッシュに追い求める誘因になることがあるからだ。
だが、「敵意」「自己批判」「目標を諦める」といった”妬みへのもっとも本能的な反応”が「妬みのメリット」を僕たちが経験することを妨げている。
それでは相手とのコミュニケーションも円滑に進められないし、僕たちの精神にも悪いし、プラスに働くことはない。
では「有害な妬みの感情」を「良い力」に変えるにはどうしたらいいのだろうか。
ここでは3つの方法を紹介したい。
有害な「妬みの感情」をプラスに変える方法
1:誰かに気持ちを打ち明ける
2:妬みは「欲しいものを示すサイン」
3:妬ましくても、人の成功を祝う
1:誰かに気持ちを打ち明ける
妬みは人が最も認めたくない感情の1つだ。
妬むと、人の感情は合理的に働かなくなったり、取るに足らないことにとらわれたりして、自己喪失感を味わってしまう。
妬みの感情を信頼できる人に話すことで、サポートが得られるだろう。
2:妬みは「欲しいものを示すサイン」
妬みの感情を抱くと、「自分が本当に欲しいもの」が明確になる。
その「欲しいもの」をエネルギッシュに追い求め、普段なら尻込みしてしまうようなチャンスに挑戦する勇気が湧いてくることもある。
妬みという「強い感情」を持ったことこそが、「あなたがそれ、もしくはそれに似たものを作り上げることができる」証明だ。
この真実に気づけば妬みの感情が持つ悪い効果から解放されやすくなる。
具体的には
➀なにに対して妬ましく思ったか自問してみる
➁その目標に近づくために必要な行動を起こし、挑戦してみる
ことがいいだろう。
3:妬ましくても、人の成功を祝う
妬ましく思う相手は敵ではない。今その人を避ければ、将来的に重要になるかもしれない「助け合いの枠組み」から、自分を遠ざけることになる。
今その人との関係を強めておけば、彼らの成功はあなたに”伝染”する可能性があるわけだ。
あらゆる人と強い絆を築く最善の方法は、他の人の成功や幸運を心から祝福することだ。
そのためには、「妬みの感情」をプラスに変える方法の1と2を使う必要がある。
以上の方法を使えばあなたの妬みもプラスに変わるに違いない。
あなたのインスタライフが楽しいものになることを祈っている。
やるべきことにすぐ手をつけるコツ
見たい番組があるわけではないのに、帰宅したら習慣的にテレビをつけてしまい、ダラダラと惰性でテレビを見てしまった。
つい手に取ったスマホでLINEを見たら、次はInstagramが気になり、さらにTwitterまでも見だしてけっこうな時間が過ぎてしまった。
このような経験はないだろうか。
すぐやるべきことがあったのに、気づいたら別のことをしていて時間がなくなってしまった。
そして何をやっていたんだと自己嫌悪感に陥る。
受験勉強や資格勉強では限られた時間をいかに有効に使うかが鍵になる。
ただ、頭ではダメだとわかっていてもやるべきことを先延ばしにして
どうでもいい別のことに時間を使ってしまう。よくある話だ。
では、どうしたらいいのだろうか?
ここでまずおさえておきたい事実が
”一度脳に見せたら、もう逆らえない” だ。
脳は目から入った情報に、もっとも大きな影響を受けている。
たとえば初対面の人と会ったときに、私たちは無意識のうちに「相手がどのような人か」を判断しようとする。
「メラビアンの法則」によると、その判断に与える影響は、視覚(見た目)が55%、
聴覚(声の調子)が38%、言葉(話した内容)は全体の7%程度といわれている。
目から入る情報の影響は他の要素に比べて大きいのである。
そしてあなたがテレビにスイッチを入れたとき、なんとなくリモコンを手にして
テレビをつけたように、私たちは”無意識”にそのような流れをおこなってしまってる。
ここでは大脳の中心部にある「大脳基底核」という部分が担う
「モデルフリーシステム」と呼ばれるシステムが働いている。
たとえばものすごく喉が渇いているときに、目の前に座った人が飲み物の入ったコップをテーブルに置いたとする。
その情報を視覚から得たあなたの脳は自動的に「コップに手を伸ばせ」という指令を出す。
この働きが「モデルフリーシステム」だ。
しかし、実際にはあなたなら目の前にコップを置かれても、他人の飲み物には手を伸ばさないはずだ。
これは吟味を行う「モデルベースシステム」という脳のシステムが働いているからだ。
つまりどういうことか。
私たちは何かを見たときにはいつも、脳内では「やるかやらないか」
「手を伸ばすか伸ばさないか」というせめぎ合いが起こっている。
ということだ。
恐ろしいのが、脳内でこのせめぎ合いが起こると激しく神経が活動し、消耗するということだ。
これでは、脳のエネルギーは無駄遣いされて、本当にやるべきことに使うエネルギーがなくなってしまう。
結論、やるべきことにすぐ手をつけるには
「余計なものは見ない」
これを徹底することだ。
そのために僕たちができることは以下の二点だ。
1:定位置を決め使ったものは、元の場所に戻すこと
2:部屋の片付けをすること
1:定位置を決め使ったものは、元の場所に戻すこと
医療現場や製造工場など、安全管理が非常に重要な現場では、配属されるとすぐに
「使ったものをもとに戻すこと」を徹底して教育される。
それはいつもと違うところにものが置かれるだけで脳が余計なエネルギーを使ってしまい、ミスを誘発しやすくなるからだ。
逆に言えば使ったものをもとの場所に戻すだけで、脳のエネルギー浪費を防ぎ、
やるべきことをすぐに実行することができるのだ。
2:部屋の片付けをすること
余計なものを見ることで脳内で「やるかやらないか」のせめぎ合いが起こり、
脳のエネルギーが無駄遣いされる。
それならば余計なものを見なくていい環境を作ればいい。
つまり部屋から余計なものをなくし、自分が何かやるときに視界に入ってこないように
すればいいということだ。
集中したいなら余計なものを視界に入れない。
じゃあ、ひとまず自分の机の上から片付けてみようか。